プログラミングが教育を変える?
2020年、日本全国の小学校でプログラミング教育がスタートします。
なぜプログラミング教育が必要なのか。
小学校という低学年から必修にする意味とは?
大学で教鞭を執る傍ら、小中学校でも出前講座を開催される
九州工業大学の中尾教授に話を聞きました。
(聞き手:EXA KIDS実行委員)
「失敗が怖い」世代にはトライ&エラーが特効薬
あるとき、物理の授業でこんな問題を出しました。「400メートルリレーの走者がバトンを受け取ったとき、実際の速度の変遷を想像してみる」というものです。
結果、誰も正解できませんでした。
速度を求める公式は頭に入っているけれど、「実際のリレーではバトンを受け取った直後が最も遅く、その後で徐々に加速していく」という状況が予測できなかったんです。
では、どんな教育が必要かといえばプログラミングのように挑戦して失敗して、次にトライする。これに尽きると思います。
これはまさに工学的なアプローチ手法です。
最近の若い子は失敗することをあまりに恐れています。
でも、答案用紙を見渡してみて最終的な答えが間違っていると判断すると、答案をすべて消してしまうんですよ。
私は間違ったプロセスも大いに評価したい。
私が大学の博士課程だったときに物理シミュレーションをするためにプログラミングを初めて使ったのですが、これは頭を使わないといけないな、と苦労したのを覚えています。
それから十数年後、こうして教育に関わるようになって「公式ではない教育とは何か」と考えたとき、あの時に取り組んだプログラミングだと思いました。
しかし、教えるとなるとハードルもありますし、コードを見ただけで拒絶反応を示す学生もいます。
そのときに出会ったのがグラフィック言語です。
Scratchのもっと前のアーテックのもので「前に進む3秒」といった型式を組み合わせていく簡単なものでした。
退屈でないと勉強じゃない?
楽しみの中にある学びとは
実際に動かしてみると少しズレるので「もっと遅くしよう」「早くしよう」「タイヤの曲がる角度をもっと時間をかけよう」と試行錯誤が生まれます。
最初は大学生1年生を対象にした授業に取り入れました。工学の観点からいうと電池の消耗でモーターの動きが変わることがあります。
これに異論を唱える人もいますが現実に起こることを考えるには絶好の機会です。
こうした初期条件も現実の工学やものづくりでは大切ですからね。
だた情報工学を専門にしている先生からは「教育じゃない」「幼稚すぎる」と言われることもあります。
学習というより、ただ遊んでいるように見えるのでしょう。
グラフィック言語は通常のコーディングよりも分かりやすく、いろいろな答えをつくられるのでたとえ失敗したとしても大変な失敗にはなりませんし、ゲームのように遊びながらプログラミングを勉強することができるツールだと思います。
その様子を見ている子どもたちはいずれ仕事をすると分かっていて「仕事は楽しくないからお金をもらえるんでしょう?」という感覚になっている。
勉強もそうです。
楽しくないけれど、将来お金をもらうために勉強をしないといけない。
でも、私はそんな考え方で仕事をしていません。
子どもたちにも楽しむ中にある学びを経験してほしいし、ロボカーやドローンのようにもこうした側面があると思っています。
勉強を教科書で知るよりも、先生が実演して変わるところを見せると子どもたちにも「すごい!」というインパクトを持って投げかけられます。
本を開いていたときより、頭を使っていないのではないかと思います。
頭を使うという観点ではプログラミングはとても良い。
「こうなったからこうなる」という論理的な思考、いわゆる理系脳という考え方を身につけるには非常に向いています。